電気の力で減塩促進。 「エレキソルト」が実現した食卓に馴染むテクノロジー

実は日本人が抱える深刻な健康課題の一つである、塩分過剰摂取。健康とおいしさのトレードオフという長年の課題に斬新なテクノロジーで挑むのが、キリンホールディングスの「エレキソルト」です。微弱な電気の力で塩味やうま味の感じ方を増強する仕組み*を、どのようにしてプロダクトに落とし込んだのでしょうか?その試行錯誤やデザイン哲学を伺いました。

*体感には個人差があります。また、料理によっても感じ方が異なる場合があります。

佐藤 愛 | キリンホールディングス株式会社 ヘルスサイエンス事業部 新規事業グループ エレキソルト事業責任者

2010年キリンホールディングス入社。清涼飲料の研究開発、新規食品素材の開発と事業化検討、キリン食領域の研究企画に従事。キリングループ社内のビジネスコンテストに応募しエレキソルト事業を起案。産学連携で新テクノロジーを生み出し、お客様の生活がより良いものになるよう変革することを目指す。

減塩の不満解消を目指して生まれた「エレキソルト」

── まずは「エレキソルト」の特徴と、どのような健康課題の解決を目指しているのか教えてください。

佐藤:「エレキソルト」は、弊社と明治大学との共同研究で開発した、微弱な電気の力で食品の塩味やうま味を増強する技術を搭載した食器型のプロダクトです*。24年5月に事業を開始し、現在カップ型とスプーン型のふたつの製品を展開しています。「おいしい食事のある人生を、すべての人に」をコンセプトに、減塩食をよりおいしく楽しんでいただき、健康的な食生活をサポートするという信念を掲げています。

*体感には個人差があります。また、料理によっても感じ方が異なる場合があります。

健康的な食生活をサポートする「エレキソルト」

佐藤:私たちが解決したい「塩分過剰摂取」の問題はアジア圏に顕著で、特に日本では、WHOの推奨値の倍近く摂取している現状があります。厚生労働省から「高血圧や慢性腎臓病の発症・重症化リスクを高める」と警鐘が鳴らされており、大きな健康課題となっているのです。

しかし、減塩の重要性は分かっていても、実際に減塩に取り組んでいる方の63%は食事に不満を感じており、そのうちの80%近くが味に不満を感じています。「エレキソルト」は、そういった方々の「食べ慣れた味で食べたい」「大好きなラーメンや和食を諦めたくない」といった切実な声から生まれました。

キリン提供資料より(調査時期:2021年6月 / 対象:首都圏在住40-79歳男女(N=4,411) / 形式:webアンケート調査 / 塩分を控えた食事を行っている/行う意思のある方は全体の約47%)

── どのようなきっかけで、事業を立ち上げられたのでしょうか?

佐藤:社内のビジネスコンテストに応募し、はじまった事業です。研究所勤務をしているときに、連携する大学病院の先生から「なかなか食事療法を続けてもらえない」という声を聞いて、実際に自分で3ヶ月間減塩生活をしてみたところ、危機感の問題ではなく、慣れた味への渇望や調理の手間が障壁となっていることを痛感しました。

この「重要性は分かっていても続けられない」体験を何とかしたいという思いが、モチベーションになっています。日本の食文化や、ご家庭で培われてきた食事を大きく変えることなく、健康的な形で食べ続けていただきたいという思いが根底にあります。

VR領域の注目技術「電気味覚」を活用

── 電気の力を用いているとのことですが、どのような技術なのでしょうか?

佐藤:「電気味覚」という、電気の力で味わいを変化させる技術を用いています。電気を流すと味が変わることは、実は200年以上前から知られており、味覚障害の検査機などで応用されてきました。この10年ほどで食生活を楽しむ方向への研究開発が進んでおり、私たちもこの研究の権威である明治大学の先生と2019年から共同研究を進め、独自の電流波形を開発しました。

──  そもそも、なぜ電流を流すと塩味が強く感じられるのでしょうか?

佐藤:通常、食事の味わい成分は唾液に溶けて分散し、味を感じとる舌の細胞に触れることで知覚されます。ここに微弱な電気を流すと、塩味やうま味、酸味といった電気的な性質を持つ成分の動きをコントロールできるのです。これらの成分を舌側、つまり人体側に引き寄せることで、よりしっかりと感じさせるという仕組みです。

キリン提供資料より

佐藤:ただしこの力を活かすには、電流の流れを生み、「電流回路」を成立させる必要があります。「エレキソルト」は、持ち手部分と食品に触れる部分に電極を備えており、食品を介して電気が口、身体、腕へとぐるりと一周する構造となっています。この仕組み上、カレーやスープなどの食事と相性が良いと言えますね。

エレキソルト スプーンの使い方

佐藤:流している電流は、美顔器よりも弱い微弱なものです。刺激を感じる方は少ないはずですが、その分劇的に味を変えるのではなく、30%程度の減塩食でじわっと本来の味わいを感じるような感覚です*。

*体感には個人差があります。また、料理によっても感じ方が異なる場合があります。

──   数ある技術の中から、なぜこの電気味覚技術に着目されたのでしょうか?

佐藤:はじめは飲料メーカーとして、減塩に役立つ食品素材や調味料の探索を行っていました。しかし、既に世の中に食品メーカー様の努力で良いものがたくさんあるため方針を変え、既存の食品に「掛け算として使える技術」がないかと考えたのです。

私自身はゲームが趣味で、学会や展示会にも積極的に参加していました。バーチャルリアリティ(VR)の学会に参加したときに、その分野の技術として注目されていたのが電気味覚です。VRというと視覚や聴覚が主と思われがちですが、実は味覚や嗅覚の研究も進んでいます。明治大学の先生も元々はVR周りの研究を主とされている方で、その学会で発表されているのを聞き、共同研究体制を組むことになりました。

──  どのような方々をターゲットとして想定されているのでしょうか?

佐藤:日本人の7、8割の方が食塩摂取の目標値を超えているため、健康課題を感じていない方も含めて幅広く使っていただきたいです。特に高血圧などの病気は、自覚症状が出る頃には重症化していることが多いため、その前から取り組んでいただきたいと思っています。

現在ご購入いただいているのは、減塩が必要な方が約3~4割、ご家族やご友人へのギフトとして購入される方が3~4割、残りは「将来の健康のために」という予防層の方々です。

検証を繰り返し、「味覚」の個人差を乗り越える

── どのように開発・改善を進めていったのでしょうか?

佐藤:開発の初期段階では、基板に導線をつなげ、3Dプリンターでつくったような実験機を口に入れて、本当に味が変わるかを私たち自身が主観的に評価していました。そこから徐々に、減塩食の味を増強できるように手探りで電気の波形を探っていき、食事動作に合わせて電流がきちんと流れるかどうかも確認していきました。

初期段階では、箸型の実験機を用いて電気の波形などを検証

佐藤:ある程度形になってからは、ターゲットとなる方々を集め、条件を開示しない状態で食事をしていただく検証を行いました。「味が増強されたと感じるか」というアンケートで評価ポイントを取得し、それらを集計してデータ化していきました。

ただし、これが本当に難しくて。同じ減塩のお味噌汁を提供しても、「ちょうど良い」と感じる方もいれば、「濃すぎる」と感じる方、あるいは「何も感じない」という方もいる。味の感じ方はもちろん、電気の感じ方にも大きな個人差があるため、体感の個人差が非常に大きいのです。「本当にこれでいいのか」と悩みました。

結果的には、効果を感じていただける方が多い範囲を弾き出し、その範囲の電流を用いるように設計しました。そして、個人差にも対応するために、電流の強度を3段階から選べるようにしました。本当は一人ひとりに合わせて細かく調整できるのがベストですが、現状そこまではできていません。

── プロトタイプでは箸型でしたが、第一弾製品はスプーン型です。変更の背景には、どのような議論があったのでしょうか。

佐藤:最初は「日本人なら箸だろう」という発想で箸型からスタートしました。しかし、減塩指導を受ける方々へのアンケートやヒアリングを進めるうちに、減塩食の指導では「麺類や汁物を控えましょう」と言われるため、ラーメンや汁物など濃い味のものを食べたいという欲求が非常に高いことが分かってきたのです。加えて、箸の持ち方は本当に人によりけりなので、電流が流れるために必要な動作や持ち方を実現できない方も多く、プロダクトの力を発揮しにくいという問題も見えてきました。

「濃い味のものを食べたい」欲求が明らかに

佐藤:そういった声に応えるため、まずは汁物やカレー、麻婆豆腐といった水分量の多い食事と相性が良く、日常の食事で使いやすいカトラリーであるスプーン型に絞りました。スプーン型であれば、スープを飲む動作などで、食材が導線となって電流が流れる仕組みも成立します。

── お客様が食べたいメニューとの相性や使いこなしやすさなど、具体的なニーズからの判断だったのですね。第二弾製品のカップ発売とスプーンの改良にも、お客様の声が活かされているのでしょうか?

佐藤:はい、大きく反映しています。特に第一弾は、安全面を考慮して敢えて電流を流れにくくしていたため、「体感しにくい」という声をいただきました。また、「口に入れるにはスプーンが大きすぎる」というご意見や、「食洗機で洗いたい」「電池もコンビニで買えるものにしてほしい」といった具体的な要望も多数いただきました。

今回のスプーンのリニューアルでは、より安定して電流が流れる設計に改善し、女性やご高齢の方に合わせて一回り小型化しました。カップ型の新製品は、汁物を好む方からの「減塩でもおいしく食べたい」という声を受けて開発に至りました。

左:第1弾​製品​(ES-S001)​ / 右:リニューアル場製品​(ES-S002)​

── お客様からの声で、他にヒントになったフィードバックはありましたか?

佐藤:当初は塩味の増強だけを考えていましたが、「出汁を入れたみたい」「コクが感じられた」という声が多く寄せられたことです。これにより、この技術が塩味だけでなくうま味にも効果があることに気づき、うま味も増すように電流の波形をさらに調整していきました。

「テック製品」ではなく「カトラリー」。食卓に馴染むための試行錯誤

── 開発を進めるうえで、安全面への配慮はどのようにしていました?

佐藤:頭部に流す電流の医学的な基準値などを参考に、安全に使える値を設定しました。美顔器や電気歯ブラシなど、人体に電流が流れる機器の安全基準も参考にしています。

また、電流を上げすぎると電気の雑味や違和感が目立ってしまうことも分かったため、ユーザーに違和感を与えずに最大限の効果が出せる値も探りました。

── 「電気が流れる」ことに対するユーザーの抵抗感をなくすために、重さ、素材、見た目、持ちやすさなど、見た目のデザインをどう考慮したのでしょうか?

佐藤:事業開始当初の調査で、ある重要なフィードバックをいただきました。それは、「特殊な機器が必要な病気を患っていると周囲から思われたくない」という声です。そういった背景もあり、テクノロジー好きな方向けの「いかにもテック製品」というデザインではなく、日常生活のなかで使っていても違和感がない、柔らかいイメージの食器・カトラリーとしてのデザインにこだわりました。色味も柔らかいものを選び、食卓の風景に馴染む情緒的な価値を担保しています。

とはいえ電流を流すという仕組み上、どうしても樹脂部分に電極を組み合わせる必要はあります。「エレキソルト」を社会実装のプロダクトにするには、「洗いやすさ」「耐久性」そして「自然な見た目」の3つが必要であり、ここはこだわった部分です。

実験機の段階では、「電気が怖い」「ピリピリするのではないか」と恐怖心を感じる方が多かったですし、初期の調査でも電気に対する怖さが一番の障壁でした。プロダクトの見た目はもちろん、美顔器や体組成計など人体に電流が流れる機器が家庭内に増えてきている現状とその原理を丁寧に説明することも、一貫して心がけています。

世界各国の食文化を尊重し、おいしさと健康を支えたい

── ラーメンチェーンの「一風堂」さんと連携したイベントなども開催されていましたね。こういった取り組みには、どのような狙いがあるのでしょうか?

佐藤:「エレキソルト」の価値を最大限に引き出す目的で、減塩食自体の啓発活動を積極的に行っています。料理研究家の先生方や、オレンジページ様などのレシピ提供企業様、食品メーカー様ともコラボレーションし、減塩レシピをWebサイトで公開しています。また、自治体や企業、医療機関といった施設の方々と協働で減塩啓発イベントを実施し、減塩食に目を向けていただく取り組みを継続的に展開しています。こうした取り組みを通じて、モノと情報の両面から健康的な食生活をサポートしています。

── 市場への展開が始まり、どのような反響がありますか?

佐藤:お客様からは「食事が楽しくなった」「おいしくなった」といった喜びの声をいただいています。現在はご家庭向けのオンライン販売のみですが、今後は大手販売店での取り扱いがはじまったり、健康経営の食堂施設や医療機関での業務用としての取り扱いも想定されています。

加えて、海外からも期待をいただいています。今年1月にラスベガスで開催されたCESでは、2部門を受賞しました。

ただし、世界各国の食生活に今のプロダクトが合うかどうかは見極めが必要です。固形物が多い食生活の国などでは、今のアプローチでは効果を感じていただくのが難しいかもしれません。そこは電気味覚技術のみにこだわらず、各国の食文化に合わせた対応をしていきたいと考えています。

── 今後、たとえば塩味以外の味覚として甘味・酸味・旨味・苦味などへの応用、あるいはスプーン・カップ以外の形での展開などはあるのでしょうか?

佐藤:電気味覚の技術としては、「電気の流し方によって味わいの変化を増強することも、抑制することも可能である」ということが分かっています。現時点では、日本の食文化において最も深刻な課題である減塩に焦点を当て、塩味とうま味の増強に特化していますが、将来的には他の味覚についても深掘りしていきたいです。

私たちは、この技術が健康上の理由で食の楽しみを諦めてきた人々、そしてこれから健康を意識したいと願うすべての人々の生活を豊かにすると信じています。今後も、より多くの方にこの価値を届けるべく、事業を拡大していければと思います。

取材協力
「エレキソルト」公式サイト https://electricsalt.shop.kirin.co.jp/
キリンホールディングス株式会社 企業サイト https://www.kirinholdings.com/jp/

Written By

長島 志歩

Specrum Tokyoの編集部員。映画会社や広告代理店、スタートアップを経て2022年よりフリーランス。クリエイターが自らの個性を生かして活躍するための支援を生業とし、幅広くコンテンツづくりやPRなどを行っている。

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